「運命」はなぜ ハ短調で扉を叩くのか? (CD付) 調性で読み解くクラシック: 吉松 隆
久しぶりに読書で胸が高鳴った。
クラシック音楽の日本の作曲家、吉松隆氏の著作である。
数ある吉松氏の著書で、はじめて読む本だったりする。
しかも吉松氏は作曲家、本を買う前にCD買えよ、という気がしないでもない。
「運命」はなぜ ハ短調で扉を叩くのか? (CD付) 調性で読み解くクラシック: 吉松 隆
書評であればブログにエントリーしたいところだ。
そして、今から紹介する内容も、クラシック音楽以上の、ビジネスや哲学、歴史に関するからなおさらだ。
「運命」はなぜ ハ短調で扉を叩くのか? (CD付) 調性で読み解くクラシック: 吉松 隆
ということで、本来は感性ですませるべきものにも理屈をつけたい方、芸術の歴史に興味のある方、クラシック音楽とヘビメタが好きな方、そういう方にぜひともお勧めしたい、すばらしい書籍である。
調性と楽器、科学、歴史
まず、音楽の三要素からはじめられる。
- リズム(rhythm)律動
- メロディ(melody)旋律
- ハーモニー(harmony)和声
また、和音(chord)と和声の違い。
次に楽器と調性の話。
ピアノは白鍵はハ長調。
弦楽器も、ヴィオラがハ長調、後から生まれた小型版のヴァイオリンがト長調。
そして、木管、金管。
各楽器が得意とする調性があり、どの楽器がソロなどで活躍するかによって作曲家も調性を決めたらしい。
楽譜や平均律がはたした役割。
人類出現から、原始的な音づくり、長い長い時間をかけたキリスト教を中心とした西洋音楽の誕生。
中世ヨーロッパでは、「音楽」というのは「数学(算術)」「幾何学」「天文学」と並ぶ数学的な学問で…
とにかく、サスペンスのような、驚きの連続である。
この学問を究め、理論と作曲と演奏すべてに精通したのが真の「音楽家(ムジクス)」。
それに対して、演奏するだけとか歌うだけというのは「楽士(カントル)」と呼ばれたそうな。
名演とか名盤にこだわるのは、カントル以下か。
歴史の最後は、もちろんクラシック音楽の死と、新しいポピュラー音楽の誕生。
ここに、「和声法」と「調性」の確立で始まった西洋音楽300年の歴史は、「ハーモニー王国」の解体によってリセットされ、この時点で、西洋クラシック音楽の「進化」は終焉を迎えた。
さらに、ブルースからジャズの盛衰、ロック…
気になるのは日本。
笙は笙、笛は笛、歌は歌で、師匠から「口伝」で弟子のみに伝えられ、すべての音楽は「流派」の中でのみ機能する「個の音楽」
そしてインドとアラブは、音楽が数学的にシステム化されたと。
要するに、日本のダメなところは、閉鎖的で汎用性がなく、デファクトスタンダードを取るプロトコルをつくるDNAを持っていないのかも、と恐ろしく感じた。
官僚制は明治以降、その他の大衆的な悪習も江戸以降とされているが、音楽は平安以降であるから、もはや権力の恣意性ではなく血である。
和をもって尊しといいながら、日本の音楽には、和音も和声も誕生しなかったわけである。
吉松隆氏のブログは、八分音符の憂鬱。
そのブログで紹介されたマンガ、べっちんとまんだら (Fx COMICS): 松本 次郎。
やはり、日本人は「個の芸術」なら、世界一流なのかもしれない。
ということで、もとから「和」という集団性が歴史に見られず、いつも保身と抜け駆けの個人中心が日本人の本性かもしれないので、ヨーロッパ的なアイデンティティなどにこだわっては無駄かもしれない…